オヤジと呼ばれた男11

最後から2番目の店。貴重な写真。

「ストロベリーファーム」の思い出もラストと思っていたら、洋書の整理中、本の中に挟まっていた思い出の店の写真を発見。吉祥寺に建てた自社ビルロードサイト店。1977年11月の開店で吉祥寺の若者にあっという間に支持され、私自身オヤジさんから仕事をいただいた最初の店だった。話題を集め名店だった1F.パンケーキの店・「フランセーズドノバン」2F・イタリアンレストラン「エスト」が10年後の1987年6月、まさかこういう建物/店に生まれ変わるとは。私がこの会社と決別した年でもあった。そして、「エスト」を愛した若者達が経済的に大人になっても、懐石・京料理をそのまま引き継いでくれることはなかった。国領の「いちごや」を残す為の犠牲がここにもあった。吉祥寺駅から少し離れた井の頭通り沿いに際立った都市的風景でその存在を示したが、わずか4、5年で売りに出されたと記憶している。はたして仙川「ストロベリーファーム」のように思い出を語れる人はいるのだろうか。

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1977年にオープンした吉祥寺「エスト」
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1987年に開店した。「いちごや」と「ストロベリーファームのアプローチ」上の写真と同じ位置。
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井の頭通り正面外観。コンクリート打ちっ放しのビル構成。
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ストロベリーファームのケーキショーケース
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ストロベリーファーム店内
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「いちごや」入口付近
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「いちごや」店内









テーマ : 夢に向かって生きる
ジャンル : ライフ

年末年始

年末12月26日は、18年前からお付き合いさせていただいている宝塚音楽学校への入学を目指す受験生たちを教える学園の発表会を観に行った。いつも思う事ことだけど少女たちの歌や踊りに素人ながら心地よい感動を覚える。毎年数人がここから宝塚音楽学校に受験し、厳しい競争率の中から2〜4人が合格している。子供の発表会とはいえプロ顔負けの舞台で日頃の練習成果を堂々と披露してくれる。恥ずかしながら合格した少女の最後の挨拶にはぐっとくるものがあり思わず頑張ってと言いたくなる。

親子
とっても可愛くてママも記念写真。


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卒業生たちのお祝いの花束。

2012年の年賀状。今年はやっぱりスカイツリーか。
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毎年、初詣に来る増上寺も東京タワーも今年はあまり混雑はなかった。
天候も曇りがちで景色もいまいち。はるか向こうにスカイツリーがかろうじて見えた。テレビの効果か南極のカラフト犬の記念像の前で写真を撮る人も。長い役目は終わったのか東京タワー。でも来年もまた来よう。
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テーマ : 楽しく生きる
ジャンル : ライフ

オヤジと呼ばれた男-10

「いちごや本館」という名の最終館

株式会社益●・益子●一社長は1970〜80年代に赤坂カプチーノ・青山ココパームス・六本木エスト・新宿、広尾、仙川等々にストロベリーファームなどの飲食店経営で一時代を築いた。おいしい料理やお菓子を手頃な値段でありながら、優越感に浸れり、カッコいい人たちが集まるおしゃれなお店。お客様に楽しんでもらえる飲食空間をたえず追求する経営方針が、なぜ、「いちごや」という京懐石料理、懐石風フランス料理に移行していったのか、今ではだれもわからない。
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▲ロールスロイス・リムジンでお迎えをしていたという。

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▲1階ロビー/モダンデザインの源流、カッシーナのソファーが見える。
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▲京懐石料理店内

もうすでに私も、オヤジさんとはすっかり疎遠になった1990年のはじめ頃、この会社は、稼ぎ頭の「ベルエアガーデン・ストロベリーファーム」をライバル視するかのように、3km先の旧甲州街道の国領に、「いちごや本館」という「ベルエアガーデン」の数倍の費用をかけ、超一流の建築家・高●伸氏に依頼したという。硬質的なポストモダンの建築家。俗にいう我々から視ると大先生だ。商売なのかアートなのか、私は一度だけその前を車で通り抜けた時、その外観の黒々さに、寒気を感じたのを覚えている。「いちごや」の店作りがこの会社の方向性を誤らせたのは誰がみても一目瞭然だろう。私もこの頃は会社のことは人づてに聞くばかりなので詳しいことは何も知らないが。事実として、オヤジの築いた栄光は社員もお客様も裏切り崩壊したのだ。「いちごや本館」は巨大な費用をかけた割には、お粗末な招待状だった(なぜかしら私にも送られてきた)最後まで勤めていた方から見せてもらった「いちごや本館」のパンフレット。飲食店という暖かい意味合いはどこにもなく、まるで建築家のための生活感のない写真集だった。確かに、凄い店だったのだろう。なのに、思い出はみんな「ココパームス」とか「ストロベリーファーム」とか、あのケーキとか。「いちごや」は誰も記憶にはないのだろうか。「いちごや」の経営で人も去り、ファンも去り、終わった。
人生は、一寸先は闇だ。そして、先月久々に甲州街道を通った、「ベルエアガーデン」は自動車ディーラー、「いちごや本館」跡地にはマンション。先人たちが命を懸けて取り組んだ事業は泡とともに消えてしまった。


  

テーマ : 夢に向かって生きる
ジャンル : ライフ

オヤジと呼ばれた男−9

レストラン・ココパームス八潮は1997年オープン!

株式会社益●・益子●一社長。1970〜80年代に感覚の鋭い人たちにいつも注目されていた店を経営。現在の飲食店経営者たちにも、何らかの形で、劇的な影響を与えたと私は信じている。焼肉店からスタートして、2件目に出したレストラン・ココパームスは青山1丁目・山王病院並びに昭和41年オープンした今でも語り継がれる伝説のレストラン。経営母体が空中分解したため、その店も名前も昭和と共に消えてしまった。しかし、このレストランで長きに渡り務めた生え抜きの伊●さんは、会社や店が潰れても“オヤジ”こと益子●一氏と交流があり、店を持つ時に創業者の“オヤジ”さんに相談し、「ココパームス」の名前をいただいたという。1997年の開店だが私が知ったのは7〜8年前だ。

1976年頃「ココパームス」2階で美容師をしていた永野さんは「ココパームス」の常連で昼間からワインを飲んだりして店に顔を出したり、芸能人と食事をしていたりしていた。その永野先生が「ココパームス」が閉店した数年後『八潮にある「ココパームス」はヨッチャン(伊●さん)がやってるってよ!今度いこうよ!』と私に言い、誘われていたまま、月日が経ちその先生は昨年亡くなられた。そうして今年、私は伊●さんと20数年ぶり再会し、八潮の「ココパームス」にいった。草加駅から三郷方面に約2.5kmのロードサイド店だ。

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天井は高くゆったりした空間だ。

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25年ぶりココパームスの仕事、新しい案内看板を設置し、ロゴを復活させました!草加方面からの目印。

名前は懐かしい「ココパームス」でも伊●さんの優しさが感じられる温かみのある店だ。よく磨かれたフローリング、ちょっと元祖青山を連想するウェイティングカウンター。「益栄」という怪物のような会社に最後まで尽くし、“オヤジ”さんの最期まで知っているのは彼ぐらいであり、それだけ“オヤジ”には可愛がられていたのだと思う。会社が倒産後フランスに渡り経験を積み、独自の料理で青山とは違う「ココパームス」を引き継いでいる。「益栄COCOPALMS」を知っている人は是非出向いてほしい。TEL.048-936-9000

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エスコフェ(牛ヒレのステーキバターライス添え)を特別にごちそうになりました。
青山ココパームスの大ヒット料理でした。








  

テーマ : 夢に向かって生きる
ジャンル : ライフ

オヤジと呼ばれた男−8

益●のケーキ、立川に登場

(株)益●のケーキ「フランセーズドノバン」(後のストロベリーファーム)が、初めて直営以外の店に登場した最初の店が、立川でレストラン経営をしていた関○さんの店だった。関○さんは三人兄弟で、社長、料理長、営業常務と立川ではちょっと知られた「サヴィニ」というイタリアンレストランを1969年に開店していた、若き経営者でした。

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●1980年頃と現在のサヴィニのファサード

関○三兄弟は「フランセーズドノバン」のケーキを立川に(株)益●と同じコーヒーハウス「カプチーノ」を開店し、「フランセーズドノバン」のケーキはここでも話題になり、店はおしゃれな女性たちで賑わった。立川「カプチーノ」もまた伝説をつくった。私は1977年(株)益●のT常務から紹介を受け、関○さんたちと付き合うようになった、彼等もまた、上り坂の会社で次々と店を開店したり、さらに相談を受けた知り合いから店のプロデュースをしたりして、いろんな飲食店の立ち上げに関わった。個人でもいい店を創れば儲かって楽しいと思われる時代だったのだろうか。立川「イマジン」聖蹟桜ヶ丘「カプチーノ」飯能「カプチーノ」「ウエストエンド」厚木「ミールディール」羽村「ミールディール」国立「ヴィラ」多摩動物園前「カレーハウス・ズー」豊田「フレスコ」などなど1990年頃まで関○さんの友達やお知り合いが飲食店を開店した。元をただせばみんな、益●の店に感化されていたのだ。多摩地区も活気があった。しかし今、いくつの店が残っているのか。レストランビジネスは厳しい!決して儲かる商売ではない。その中で「サヴィニ」「ウエストエンド」は今でも立川では有名な人気店だ。立川では誰かを連れて行きたい店のおすすめトップクラスだろう。私と懇意にしていただいた、末弟の常務は1999年50歳の若さで他界したが、その息子さんたちは後を継ぐかのように今では店の手伝いをしている。今は、料理長(チーフ)が社長を務め、たまに仕事の件で店に行くといつも料理をごちそうしてくれる、そして、何気なくピザのお土産を持たしてくれる。関○さんとは気づいてみたら35年の付き合いになっていた。
益●さんと違って、「サヴィニ」は関○さんのDNAを引き継いで老舗レストランとして立川にその名を引き継いでいくだろう。頑張れ!関○常務の子息たち!

オヤジさんと離れて25年、最近は弟さんを始め、懐かしい昔の益●メンバーと会うようになり、店を経営している人たちに会ったりして、その懐かしい料理を味わった。オヤジさんにはきっと無関心なことだろうけど、確かに流れを受け継いで感謝している人もいるのだということも分かった。

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●おみやげで頂くサヴィニのピザ。イタリアン生地でパリパリおいしい、サラミとチーズとマッシュルーム。
看板もパッケージもデザインby me.



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ジャンル : ライフ

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